本物の「美しさ」というのは、結果として「美しく」なっているものが多いと思うのです。
突然、「何を?」という話ですみません。
世の中には、誰もが目を奪われてしまう「美しさ」、「心地よさ」、「かっこよさ」というものがあります。
100年の時を正確に刻む機械時計
世界最速のF-1マシン
何時間座っていても心地よい椅子
これらに共通しているのは、おそらくですが、どれも、まず最初に美しさだけを求めたものではないということ。
それぞれが、それぞれに、そこで求められる機能や役割を、とことんまで追及した結果、「美しくなった」という、必然があるように思います。
僕らの会社で作っているシステム(ソフトウェア)も同じだと思うのです。
仕様
アーキテクチャ
アルゴリズム
ソースコード
インターフェース
「美しい」と見た目で思うもの、そして、感じるものは、結果として、どれもよくできています。
なんとなくぎこちないもの、無理やりなものは、どこかに機能的な欠陥が生じていると思っても良いのかもしれません。
そう考えると、システム構築においても、美的感覚は非常に重要だと思います。
システム構築において、「美しいものを作ろう」と目指すのは、エンジニアリングマインドとして、そして、モノ作り屋が極める方向性として、様々な制約条件がある中で非常に大変なことなのですが、価値のある取り組みだと思います。
#表面的な美しさをまず求めるということとは違うので要注意なんですが・・・。^^;
そうそう、「制約条件」で思い出しましたが、誰かが(誰だったっけかな?)、「制約がある中でモノを作ることが醍醐味」という話をしていたように記憶しています。
真のモノ作り屋は、そんな困難なプロセスを楽しめる余裕が必要と。。
真っ白なキャンバスのように、完全な自由から何かを表現しようとすることは、天才のみが成せる技だと思います。
それはそれで、非常に素敵なことです。
芸術家の域です。
尊敬します。
憧れます。
しかし、エンジニアは芸術家ではありません。
必要とされる機能を果たすことで、その仕事の価値が評価される。
「使えるモノ」を生み出さなければならないという「使命」を負っています。
100年の時を正確に刻む機械時計
世界最速のF-1マシン
何時間座っていても心地よい椅子
エンジニアの魂と不断の努力の成果として、奇跡的に世の中に生まれたこれらの作品は、どれも、シンプルに「美しい」と思うのです。
エンジニアは「美しさ」に鈍感になってはいけない。