世界はそれを web3 と呼ぶんだぜ

前回 2019.05.19 の投稿以来、およそ2年と3か月ぶりの投稿です。

この間、本当にいろんなことがありました。このブログサービスJUGEMの運営会社も変わってしまいましたね。

 

このブログサービス(JUGEM)がいまだに https に未対応でGoogleにインデックスされなくなったこともあって、もはや検索で見つかることがなく、こっそり自分の意見をポストして記録しておくには最適な場所になりつつありますw

 

 

ところで、前回の投稿「まわるまわるよ 時代はまわる」で私はこんなことを書いていました。

 

常々感じていることなのですが、IT業界、それもインターネット以前の1970年台ぐらいから、大きなトレンドの繰り返しは実は変わって無いんじゃないかなというのが、私の持論でもあります。

 

そのトレンドというのは「集中と分散の繰り返し」ということです。

 

(中略)

 

直近の大きなトレンドはクラウドコンピューティングだと思います。これはどちらかというと「集中」です。

あらゆるデータ、あらゆる機能、あらゆるサービスが、クラウド化という波で、どんどん「雲の上」に集められて行っています。

そんなトレンドにのっかって、メガクラウドベンダー(AWS(アマゾン)、Azure(マイクロソフト)、GCP(グーグル))はものすごい成長をしていますし、SalesForceのようなSaaSも、FacebookのようなSNSも成長してきました。

 

このトレンドがそろそろ終わるんじゃないかというのが、私が感じていることです。「集中と分散の繰り返し」というトレンドが変わることが歴史的に見ても変わらないことという前提で考えて「そろそろ終わる」と。

 

そう、2年前にこの記事を書いたとき、そろそろ「集中」のトレンドが終わって「分散」のトレンドがはじまるんじゃないかと感じていて書きました。

 

この時、この「分散」のトレンドがどういう形でどう表れて、どう呼ばれて、どういった組織(企業や団体)がそれを牽引していくのかまでは具体的に思い描いていたわけではないのですが、歴史が繰り返していることを考えると、そろそろ「分散」のタームだよなぁとぼんやりと思っていたのでした。

 

2022年の今、そのイメージが具体的に世間でも話題になることが増えてきました。

 

web3 です。

 

 

Web1.0 の主なユーザ体験が read only (ブラウズする)

Web2.0 の主なユーザ体験が read and write(書き込んでユーザー同士でコミュニケーションする・シェアする・フォローする・される)

Web3.0 の主なユーザ体験が own (所有する)

 

と説明することもあるようです。

 

これまでWebのユーザは、誰かが提供するサービスを通じて自身の活動を書き込んで、それがインターネットを介して表示されている世界線でしたが、web3 では「誰かが提供するサービス」ではなく、パブリックブロックチェーン上にユーザー自らが直接記録しそれをユーザー自身で永続的に所有し続けられるという世界線になってきます。

 

なんだか、わかったようなわかならいようなお話です。

 

web3 の主なユーザ体験は、自分がブロックチェーン上に記録した情報資産のオーナーになって、それを活かす(資産として運用する)ということとも言えそうです。

 

オーナーですから、自分の意志で何だってできます。

 

貸してもいいし、売ってもいいし、ただ置いておいても良いし、もちろん自分で使ってもよい。誰かに使ってもらって活かしてもらってもよいのです。また、誰かが売っているものを買って、自分の所有物を増やしても良いのです。

 

自身の活動により、所有物を活かすことで、金銭的なリターンを得られる可能性があるのも web3 のユーザ体験で、これまでのそれとは違うところかもしれません。

 

え、それじゃ、自分でフォロワー集めて、自作のコンテンツを発信することで、広告収入を得るのと何が違うの?

 

となりますが、これが仮にYouTuberだったとすれば、YouTuberの活動は、YouTubeというプラットフォームありきでなされる活動であり、YouTubeというプラットフォームから ban(=出入り禁止)をくらったら、フォロワーも、自作のコンテンツも、広告収入もすべてを失う(=実は、自分の資産としてなに一つ所有はしていなかったものなのだとその時になって気づく)というところでしょうか。がゆえに、発信者は、そうした事態(ban)が起こらないように発信の内容に気を配る必要も出てきます。

 

YouTuberの例をまったく同じように web3 化するには、いろいろと工夫が必要な気がしますし、まったく同じ収益構造にはならない気もしますが、運営に ban されることが無い、自前のコミュニティを形成して、自前の経済圏を作ることができる可能性を web3 は持っているように感じます。コミュニティは、そのコミュニティを形成するユーザによって所有される世界線となり、永続的に特定のプラットフォームに依存しない存在になりえる可能性があります。

 

え、それじゃ、コミュニティの「運営主体」がいるんじゃないの?どこかに特定の「管理者」がいるんじゃないの?

 

そう、そこで登場するのが DAO です。Decentralized Autonomous Organization の頭文字で日本語では分散型自律組織です。もうわけわからないですよね。

 

どうやらこういうことのようです。

コミュニティの中心にDAOがあります。DAOはプログラム。プログラムが自律的に動くことで永続的な機能をコミュニティに対して提供します。コミュニティ参加者はDAOを構成する要素でもあり、プログラムのユーザであり、かつ、開発・更新する一員になることもあります。DAOにおける意思決定はコミュニティ参加者によって民主的に決めていきます。コミュニティ参加者は、DAOの機能とコミュニティの規模から生じる経済価値を所有でき、それがコミュニティへの参加・発展への貢献のインセンティブになる、という世界線となります。

 

世界はそれを web3 と呼んでいます。

 

 

やっぱりなんだか、わかったようなわかならいようなお話ですが、Web1.0のころもそんな感じだったと思います。

 

「インターネットが世の中を変えるんだから!」

「時間と場所の制約がなくなるんだから!」

「すべてがつながるんだから!」

 

ということが当時言われていましたが、ピンと来ていた人はごく一部の人で、大多数の人は「ふーん。で?電話と何が違う?インターネットってよくわからないし、怪しいし、怖い。一部のパソコンオタクしかやってないやつでしょ。」ぐらいな感じだったと思います。

 

そういう意味では、web3 も、web4、web5 と深化していきながら、より軽快なユーザ体験になって、難しいことが判らなくても自然に利用できているという「一般化」が進むんだろうなと思います。インターネットのいつか来た道です。

 

日本は大変残念ながら、web3 に関して世界に大きく水をあけられてしまっています。これは事実です。

また、web3 に注目して活動する多くの若い日本人(Z世代)は、どんどん海外に活動拠点を移していってしまっています。これも事実です。

理由はいろいろありますが、これは日本のインターネット産業にとっては相当に由々しき事態です。どげんかせんといけん。

 

 

閑話休題。

 

サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!」がエンディング主題歌だったドラマ「電車男」は、Web2.0の先駆けとしての出来事を世の中にわかりやすく知らしめた1つの象徴的なコンテンツでした。

 

 

はたして web3 における象徴的な出来事はどんな形で登場してくるのでしょうか。

私自身、インターネット業界の中の人として、その出来事を駆動する側でいたいと思うところです。Z世代の親父世代ですが、若い人たちに負けないように、がんばろうと思いますw

 

 

最後に2冊の本のご紹介。

私がブロックチェーンやweb3についての知識を得るために読んだ本です。

 

 

信用の新世紀  ブロックチェーン後の未来

2000年からデジタル通貨の研究を行っていた著者の斎藤先生が、2017年の暮れに初版発行した、ブロックチェーン技術の詳細な解説と、その存在自身が意識されることなく社会インフラの一部になっている未来の状況を短編SF小説として書き下ろした著作。短編SF小説が冒頭にあって、そのあと、ブロックチェーン技術に関しての解説書的な構成になっています。

 

 

 

テクノロジーが 予測する未来 web3、メタバース、NFTで世界はこうなる

web3の全体像を知りたい人が読むと良い本です。伊藤穣一さんが網羅的にweb3を解説し、未来がどう変わるのかを伝えてくれています。